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私はどうして医師になったのか

・私のSNSのお友達から「先生は何がきっかけで医師を目指されたのでしょう」という質問をお受けしましたので、本日はそのことについて書こうと思います。当然私の意識はその時代に期待されておりますので、若干歴史的なことについても書きます。(ほんのちょっぴりよ)

・まず、私の年齢。東京タワー、スバル360と同い年です。人で言うなら、岩崎ひろみ、原辰徳、森昌子(わずか誕生日4日違い)、桜田淳子、八神純子、石川さゆり、東野圭吾、マドンナ、マイケルジャクソン(生きていたら)らと同い年です。

・私が3歳の時父親が事故(?)で死亡。(全然父親の記憶無し)母親が女手一つで(昭和の表現?)で育ててくれました。母親はダブルワーク、トリプルワークで私を育ててくれました。とっても経済的にしんどかったと思います。そんな母が言ったのは、お医者さんになれば経済的には困らないと。たぶん、そういう刷り込みがあったと思います。

・私が、小学生の時は、学研の『科学』という雑誌を定期購読しておりました。理科が好きな少年でした。で、その頃は公害問題真っ盛り。小学生の素朴な疑問、「本来人間の幸せのためにある科学・技術が、どうして人をくるしめるのか?」

・もう一つは、ベトナム戦争の時代。「どうして、人が殺し合うのか?」

・中学高校とスポーツ馬鹿で、ハンドボールばかりしていました。で、高校2年の頃、ベッドに仰向けに寝転がって思ったこと。ずーっ、上をみあげると(実際は天井があってみれないけど)宇宙ははてしない。ハンドボールばかりしていいのか?自分は宇宙ではゴミみたいなちっぽけな存在だ。存在意義があるのか?そんな、自問自答をしておりました。で、出た結論は、存在意義がないなら、存在意義があるものになろうと。

・で、どのような職業になるか?その時成りたかったのが、科学技術者、先生、医者でした。

・突然話変わって、私の祖母が建設会社の寮の寮母をしておりました。遊びに行ったとき帰りに、これもってかえりと少女漫画(別冊マーガレット、略称「別マ」)をくれました。実は小学校、中学校の頃は硬派で、でっかい目の中に星がキラキラ、背景は花というような少女漫画をばかにしておりました。しかし、帰りの電車の中ですることないので、祖母がくれた別マを読んでいたら、とっても面白い。少女漫画への評価が180度転換。自分の小遣い出して、別マをはじめその他の少女漫画雑誌を買うようになりました。私が好きな作家だったのは、美内すずえ(代表作(と、私が勝手に言っている、以下同じ):ガラスの仮面)、柴田昌弘(ラブシンクロイド)、亜月裕(伊賀野カバ丸)、萩尾望都(ポーの一族)、ひだのぶこ(代表作ではないですが、池沢さとしの妻)等々。別マに、アタックナンバーワンで一世を風靡した浦野千賀子が、確か、愛の動物シリーズを書いていたような...

・どういう職業に就こうかという三択で決定的な役割を果たしたのが、浦野千賀子の「ドクター・ジュンコ」という若い女医さんが主人公の漫画でした。短編が何話かあったのですが、そのうちの一つ。貧乏な子供が、たまたまある病気が見つかって手術をうけなければならない。しかし、お金がないので受けられない。そういう上京でジュンコDr.は大分年上の医師に「命はお金でかえないじゃないですか」というと、年上のDr.は、「命が金でかえないのは、あたりまえのことだ。しかし、今の世の中、当たり前のことが、あたりまえでないのだ」とこたえました。(記憶にたどって書いているので、実際どうだったかはあいまい)それを読んで、私は頭をバッドでなぐられたようにガーンときました。(くも膜下出血ではありません)そうだ、当たり前のことが当たり前でない世の中なのだ(公害問題も戦争も)。自分は当たり前のことが、当たりまである世の中をつくりたいと。

・その頃医療問題として救急の「たらい回し」が連日のように報道されていました。確か毎日新聞がキャンペーンを張っていたような気がします。そこで、自分は医者になって解決したいと。(一人で解決できると思うほど馬鹿じゃなくて、何らかの組織だった取り組みが必要と思ったと思います)

・つまり、医者になったのは、当たり前のことがあたりまでである世の中、金の切れ目が命の切れ目ではなく、万人の命が貧富の差ではなく、尊重される世の中を作りたいとおもったからでした。

・で、その初心が貫徹されているか?アスベスト繊維のようにほそーーーくは、ありますが、そういう活動をしてきたと思います。

・長々とここまで読んでくださった方ありがとうございます。別冊マーガレット1974-1976年6月号をお持ちの方は、見せていただければ幸いです。ドクタージュンコのコミックスは持っているのですが、私の人生をきめたお話はそこには納められていないのでした。

・余談ですが、私の周辺にはちょこちょこシングルマザーの方がいます。私の母親もこういう感じで働いていたのかなと思って見ています。口には出しませんが、シングルマザー頑張ってるね、何かあったらできることなら応援しますよ、と心の中で思っております。

・超余談ですが、中学3年の文化祭で、私のクラスは森昌子の「中学3年生」を合唱しました。で、何をクラスメートが思ったのか、私を伴奏者に指名しました。なぜなら、私がエレクトーンを習っていたからです。で、わたしの母親は、何を思ったのか、私にエレクトーンを習わしにいきました。数件となりでエレクトーンをおしえてくれるお姉さんがいたから。(メッチャ、美人だったと思います)家には、エレクトーンはなく、ぼろい電子オルガンがありました。脚のほうの練習ができないわけですが、近くに三郎丸というかわった名前の散髪屋さんがありました。そこでどういういきさつかエレクトーンの話をしたら、そこのおうちにエレクトーンがあるから、練習しに来て良いよといってくれました。なので、何回かお言葉に甘えて練習させてもらいました。中学のころの散髪屋さんですが、まだ、明石の実家の近くで営業されています。昨年だったか、中学以来超久々にその散髪屋さんにいって頭を刈ってもらいながら、中学時代のお礼を言いました。・・・人の善意で生かされていると思うのでありました。今のような医者になれたのも多くの方の善意のおかげです。機会があればその話を書きたいと思います。


以下ちょっとだけ日記

・本日7/12(金)は6時起床。ちょっとだけ朝勉して出勤。午前外来、午後から回診、ご家族と面談、転院の手続き等。帰宅は19時でした。お風呂入って、湯上がりに麦酒飲んでこのブログを書いております。これから夕食とって、さっさと寝るか、アマゾンプライムビデオを観るかします。

・ブログ書いていてい、母親のこととか、昔親切にしてくださった方のことを思い出して、涙が出てきました。感情失禁?本当の失禁でなくて良かった。


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