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マイ手帳大賞:あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない/デパスは飲みません

・古い話、熱心な読者なら覚えておられるだろうが、8月の(5)、6,7日と東京慈恵会医科大学国領キャンパスでの社会医学会に私が参加して来ました。どのような内容だったかは↓




このプログラムの中で、琉球大学医学部附属病院 地域医療部 臨床倫理士の金城 隆展先生の「対話し協働する保健医療福祉を考える~立ち止まり物語る倫理のススメ~」というお話を聴きました。いろいろ勉強になることがあったのですが、その中で『夜と霧』の中の言葉が引用されていました。それが標題の言葉。もうちょっと前の分とともに引用すると↓(新版から)


  強制収容所にいたことのある者なら、点呼場や居住棟のあいだで、通りすがりに思いやりのある言葉をかけ、なけなしのパンを譲っていた人びとについて、いくらでも語れるのではないだろうか。そんな人は、たとえほんのひと握りだったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない、実際にそのような例はあったということを証明するには充分だ。


・『夜と霧』には、古い訳本と新しい訳本(新版)があります。私は両方とも読んでいたのです、このフレーズを覚えていませんでした。しかし、家に帰って悪い予感がしながら新版をみてみると、案の定赤線が引かれていました。読んだときは大切と思ったのでしょうが、忘れていたのです。実際に繰り返し本を読み、講演を聴いたりディスカッションをしないと、大事なことでも忘れてしまうということでしょう。(私だけ?)


夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

  • 作者: V.E.フランクル
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 1985/01/23
  • メディア: 単行本
夜と霧 新版

夜と霧 新版

  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2002/11/05
  • メディア: Kindle版

・メタ認知として、この環境で自分がどう振る舞うのかというのを「観察」するのもよいでしょう。(私は、何らかの事故、例えば電車の大幅な遅れ、が起こったとき、周りの人がどういう言動をしているのか、そして自分が同感じ、どう行動するのだろうというメタ認知を楽しむようになってきました)



以下日記

・本日10/2(水)は6時半起床。月曜の当直がまだ、響いております。(だって、当直「明け」がやすめていませんから)一瞬のみ朝勉して出勤。早朝回診して、午前外来、午後回診、カンファレンス、新入院対応、予感診療です。幸いなことに19時15分に病院を出ることができました。で、19時40分に帰宅し入浴、夕食。そしてこのブログを書いております。このあとちょっとだけ勉強して早めに寝ます。明日は、午後から鹿児島出張、台風の影響はどうなっているのでしょう?

・ちなみに何時も淡々と「回診」と書いております、最近は夜にいろいろあって大変。朝一で入院患者さんの記録を読むと頭が痛くなってきます。今朝、デパスを飲んでいる看護師さんから、先生もデパスのみますかと言われて、つい、飲んでみたいという誘惑にかられました・・・当然飲みません。(キッパリ)

・話変わって、9月下旬を最近振り返っていましたが、9/24(火)が抜けていました。何をしていたのか?午前は病院で外来、午後は回診を即効で済ませ16時半に間に合うように大学へ。16時半から17時まで、新教授と面接。研究相談と要望を述べました。ちなみに新しい教授は↓




・面接後、ワダという医学部近くの散髪屋でスポーツ刈りにして帰宅しました。

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