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環境大臣からの感謝状/なかなか濃い一日でした

私、倉敷市の公害健康被害認定審査会の委員を16年務めているそうです。「そうです」というのは、事務局の人がそう言われており自分で確認していないからです。それはさておき、結構長く務めているとのことで、本日、小泉 進次郎環境大臣より、恐れ多くももったいなくも感謝状をいただきました。

・公害健康被害認定審査会とは、公健法↓に定められている委員会です。


公健法概要↓



公健法条文↓



この第七節で公害健康被害認定審査会が↓のように規定されています(抜粋)


(設置)
第四十四条 この法律によりその権限に属させられた事項を行なわせるため、第一種地域又は第二種地域の全部又は一部をその区域に含む都道府県又は第四条第三項の政令で定める市に、公害健康被害認定審査会を置く。
(組織等)
第四十五条 公害健康被害認定審査会は、医学、法律学その他公害に係る健康被害の補償に関し学識経験を有する者のうちから、都道府県知事又は第四条第三項の政令で定める市の長が任命する委員をもつて組織する。
・ということで、私は学識経験を有する者(へー、しらなんだ)として倉敷市長から委員に任命されたわけです。倉敷市の任命の基準の細かいところは知りませんが、公的病院、公健法の検査をしている病院、医師会の推薦みたいです。で、私は玉島医師会の推薦をいただき今に至ります。
・この委員になった時も感慨深かったのですが、今回あらためて感慨深いものになりました。別に委員になりたかったわけではありませんし、なれるなんて夢にも思っておりませんでした。
・突然話変わって、私の若かりし頃。1983年に岡山大学医学部を卒業し、倉敷医療生活協同組合に入職(生協の場合入協と言うらしいが、一般的な言葉でないので入職としました)。ほとんどの同級生は大学のいわゆる医局に入りましたが、少数の人間が大学以外の所に就職しました。私は少数派だったわけですが、最初は何も分からず初期研修を行っていました。で、2年もするとちょっと周りが見えてきます。同級生が学会で私の知らない言葉をつかって発表しているのを見聞するとちょっと、いや大いにあせりました。また、ちょうどそのころ病院が大きくなって大学派遣のお医者さんが多く入ってこられました。その人達との知識の差(実は、知識の差というより知っている分野の差というほうが正しいでしょう)。また、病院での処遇がなぜか大学派遣のDr.達は研修日が保障されたりその他待遇が私より良かった。で、何か、自分の選択は間違っていたのではないかと悶々とする時期がありました。その中で自分の選択が間違いなかったと確信できたのが①倉敷公害裁判②喘息大学③二硫化炭素中毒症でした。
・私が感慨深いと言ったのは、倉敷公害裁判に関わった私が、公害健康被害認定審査会の委員になったこと、それがお国から(環境省ですが)感謝されたことが感慨深かったのです。
・倉敷公害裁判(水島の大気汚染によって引き起こされた気管支喘息やCOPDの患者さんがおこした公害差し止めと補償を求めた裁判)は私が就職した1983年に(私に断りも無く、ナンチャッテ)公害患者さん達がおこしました。最初私がこれに積極的に関わっていたわけではないですが、私が診療していた患者さんも何人かこの訴訟に加わっており、その主治医意見書というものをかかないといけなくなっていつの間にかこの裁判にかかわるようになってしまいました。で、被告の企業側がえらい大学の教授や国立病院の院長などを「証人」にして、訴えた患者さんをたちを「症例検討」して私たちの診断にケチをつけて来たわけです。その時私は若かったというか呼吸器科をやりだしたヒヨコだったので、被告側の証人が胸部疾患学会(以前そう言っていた、今は呼吸器学会)の理事や評議員の有名な「先生」方で、その名前をみたときひっくり返りそうになりました。で、話が長くなるので中略。裁判は原告側の勝利的和解でした。
・私が就職した倉敷医療生活協同組合(おもに水島協同病院教)は、公健法にもとずき積極的に公害患者さんの認定のための診断書をかいていました。しかし地域では、協同病院が(にせ)患者をいっぱい造って自分の所にかよわせてもうけているというような誹謗中傷や↑の「症例検討」での誹謗中傷等、なんか我々原告側にたつ医師が不正を働いている、また、呼吸器の専門ではないというようなことをいわれておりました。
・公害裁判に勝利したとき、ああ、歴史は名も無き人たちがつくるのだなあ、その大きな川の流れの一滴に自分はなったんだと思い自分が選んだ選択は間違いなかったと確信したものです。(公害裁判に関わった人たちは、本当に市井の人々です。その人達がどのような暮らし、気持ちだったのか陳述書をよんでよくわかりました)なので、誹謗中傷をうけても自分自身は、とくに応えなくなりました。(と、いってもやっぱり気持ちよくない/つらいですけどね)問題は、第三者がどう思うかです。
・上のように地域の人やお医者さん達が、どう我々を評価しているのか分からなかったわけですが、玉島医師会が私を公害健康被害認定審査会の委員に推薦してくださったとき、地域のお医者さん達に認められた、また行政に認められたんだなと感じ、感慨深いものがありました。
・倉敷の公害裁判は、国を訴えたわけではないのですが、似たような訴訟が他の地域でも行われており、そこでは国を被告にしていました。我々もそういうところとも協力しており、間接的にはお国を相手にしておりました。そういうお上に逆らっていた私が感謝状をもらえるなんて、やはり、感慨深いものがあります。もし、我々が真実を曲げ、黒を白といっていたら、こういう事はなかったと思うわけです。
cf. 大気汚染裁判のあらまし
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以下日記
・本日9/30(木)は、5時20分起床。朝勉がゆっくりできて、出勤。(当然?木曜日は燃えるゴミの日なのでそれを出して、猫たちに餌をやって)水島で産業医学科外来。午後は↑のように公害健康被害認定審査会。冒頭で、↑の感謝状の授与式(っていうのかな?)それから玉島へもどって、病棟よって書類書いて18時前に帰宅。18時から19時20分頃までZOOMで社会疫学勉強会。19時30分から21時過ぎまでソーシャルキャピタル研究会。その後猫たちに餌をやりに行ってから入浴。夕食。で、このブログを書いております。もう、これから歯を磨いて寝ます。


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