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FYMI: 医療機関での麻疹対応ガイドライン 第七版/私の青春時代はずっと戦争でした。でも...

今年、岡山県で2例(岡山市と倉敷市)の麻疹(はしか)の患者さんの発生がみられています。どちらもベトナムへ行っており、帰国後発症したようです↓


岡山市で11年ぶり、はしか感染確認 40代男性 市「予防接種を」




ベトナムから帰国の倉敷の男性 はしか感染 県内ことし2人目





・私が、研修医の頃は麻疹は何人か診た経験がありましたが、その後いつのまにか全然みなくなっていました。

しかし、コロナが流行る前ですが、お一人大学生の方が受診され、麻疹の疑い有りと報告しました。で、いろいろ問い合わせがあって、誤診だったらどうしようと、ビビッた記憶があります。幸いなのか、幸いでないのか、診断は当たっていました。で、↓のようなガイドラインがありますので、また、復習しないと。



医療機関での麻疹対応ガイドライン 第七版


国立感染症研究所 感染症疫学センター 平成 30 年 5 月





あっという間に以下日記

・昨日2/8(土)は、午前中は福山の診療所で外来。ここは以前私が院長時代に消化器内視鏡の支援にきていただいていたことがあり、そのご恩返しで、コロナ前診療支援に行っていました。一時中断していましたが、また、お声がかかったので、今回から月1回支援の診療に行くことになりました。で、その初日でした。メッチャ緊張しておりましたが、ベテラン看護師さんがついてくださったし、そもそも天候の関係か、患者さんが少なくゆっくり診療できて良かったです。診療後福山駅前の天満屋をうろうろして帰宅。夕方、新倉敷駅近くの間暖という韓流創作料理の店で熟女達とお食事会。

・本日2/9(日)は、朝ちょっと気になる患者さんを診に病院へ。その帰り、某施設訪問:以前私が診ていた女性の患者さんが100歳になられるのでお祝いに。昨日天満屋をうろうろしたのは、プレゼントを探すため。ちょっと工夫して、今日の分のプレゼント(ベタなモノで自分のセンスのなさを嘆きます)をお渡ししたのと、3月になったら封筒あけてください、4月になったら封筒あけてくださいという様な感じで、もっと長生きしてねという思いをこめてお渡ししました。

・その患者さんが言われるには、私の青春時代はずっと戦争=満州事変、支那事変、第二次世界大戦、朝鮮戦争。若いときは、徴兵検査の手伝いもしたとのこと。その時初めて若い男の人の褌一丁の姿を見たと。しかし、自分の人生は充実していました。ひ孫は10人。皆さんに感謝ですと言われていました。

・その日は遠くからお子さん、お孫さんが訪ねてこられて、一緒にお食事に行くとのこと。よろしおすなぁ。

・帰宅後お昼ごはん時にビールを飲んで、お昼寝。その後はずーーと事務作業。で、現在もアルコール飲みながらこのブログを書いております。22時までには寝ましょう。

・先ほどの100歳の方のお話を聴いていて思いだした詩↓


 わたしが一番きれいだったとき 
                茨木 のり子
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね
cf. 高校講座ラジオ学習メモ
・ホントに、こんなことが二度と起こらないように...


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