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医師患者関係のモデル/疲れた心身で美を感じる

私は、医療は医療者と患者・家族、地域住民との共同の営み(パートナーシップ)と捉えていますが、医師間じゃ関係の捉え方って、学問的にはいろいろ言われているのですね。↓のような論文を読みました。


患者-医師間コミュニケーション研究に見る「患者中心の医療」という概念の進化


石川 ひろの




【抄録】

この数十年間,「患者中心」という概念は,医療コミュニケーション研究において多くの研究者の注目を集めてきた。にもかかわらず,その概念は定義や測定方法が統一されていないことがしばしば批判されてきた。本論文では,機能主義,コンフリクト理論,功利主義,社会構築主義の4つの社会学の理論的視点に基づいて,患者-医師間コミュニケーションに関する研究が,患者中心的コミュニケーションをどのように概念化し,測定してきたかをレビューした。それぞれの理論的視点によって,患者-医師関係の前提,期待される役割,コミュニケーションの目標は異なる捉え方をされていた。これが,先行研究においてたびたび指摘されてきた患者中心的コミュニケーションに関する概念的および操作的な定義の混乱の一因であると考えられる。本研究は,患者中心的コミュニケーションのさまざまなモデルと,各モデルで期待される役割と目標についての概観を示した。患者中心的コミュニケーションの重要な特徴は,患者の希望や状況に合わせて患者-医師間のコミュニケーションモデルを調整することであるとされる。本研究で示した枠組みは,その患者や文脈に即したコミュニケーションモデルを特定し,既存の患者中心的コミュニケーションの尺度を理論的に再構築することにつながる可能性がある。また,患者中心的コミュニケーションは,これまで主に患者中心のケアを実現するための医師側の行動として定義されてきたが,その実現に向けては患者との協働が重要であり,今後の研究,臨床において着目していく必要がある。


・フーン、学問的には、こんな捉え方があるんだなと思いました。私が、研修医に外来診療についての講義をするときに言っているようなことも書かれており、心強く思いました↓



患者の解釈モデルは,しばしば完全に明確に表現されないことが多く,抽象度が低かったり,一貫性がなかったり,自己矛盾することもある(Kleinman, Eisenberg and Good, 1978)。さらに,患者自身が,自分の価値観を言語化できておらず,明確な「解釈モデル」を持っていない可能性もある(Masse and Legare, 2001)。


まあ、わたしは、こんなわかりにくい表現で研修医には教えませんが...


↑の論文では、患者が医師に何を求めているかというようなことがあまり論じられていなかったような気がします。(アルコール飲んで読んだので、見逃しているかも)何はともあれ、医師・患者関係とはどういうものかというのを現場の医療者も考えておく必要があるでしょう。



以下日記

・昨日12/13(月)は、6時起床。身支度、朝食、ゴミ出しして病院へ電話し、重症化した患者さんの状態を確認。必要なら朝から出勤(嘱託医の契約としては月曜午前、火曜午後は仕事をする契約はしていません)しようと思っていましたが、その必要はありませんでした。で、午前中はZOOMで因果推論の勉強会。午後から出勤し、回診、夜間診療、事務作業。帰宅は20時半前。お風呂入って、夕食。勉強してブログを書こうと思ったのですが、強烈な睡魔に襲われ、果たせずでした。

・本日12/14(火)は6時16分起床。朝勉せず出勤。午前外来、午後インフルエンザワクチン接種。合間で回診。15時になって病院を出ようと思ったら立て続けに2台救急車が入ると言うことで、2台目の対応のために帰宅できず、必然的に私が大事にしている16時からの大学院のcritical appraisalにも参加できず、帰宅は18時でした。帰ってネコたちに餌やって入浴、夕食:ラーメン鍋でした。麦酒を飲んで、録画の「激レアさんをつれてきた」を観ておりました。そして、ちょっと勉強してこのブログを書いております。22時までには寝たいと思います。

・今日疲れ切って病院の職員通用門を出て、空を観たらきれいな月と星、夕焼け・・・美しいものは、疲れた気持ちを浄化させ、暖かいものにしてくれるんだなと思いました。だから、人には芸術が必要。その連想で、今日は月星夕焼けと自然でしたが、美人というものもそうなんだろうかなとフと疑問に思いました。


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