医療界の片隅で変と叫ぶ:「指示が入らない」と言うなーっ!/ちょっと草かれた
・私は医者でありまして、医療界のに属していますが、別に著明な研究者でも名医でもオピニオンリーダーでもありません。ただ、一隅を照らせればよいと思っている地方の医者です。ただ、医療界の偉い人や医療界で働く人々の言動であらためてもらいたいことや、医学自体が変と感じるところもあります。で、本日の標題となります。
・最近何回も↓の本をご紹介しました。
ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2019/12/27
・この本の212ページに、「誰かが認知症になったと聞くと、「あの人はニンチだから」といって、こころの中に壁をつくって、あの人はあちら側の人間、自分はこちら側の人間と仕分けてしまう人がいる。」と書かれていました。私は、それどころか認知症を「ニンチ」というのは、軽蔑した差別用語だと思っています。しかし、残念ことに私の周辺でも認知症のことを「ニンチ」という医療・介護・福祉労働者がいます。ほんま、やめてほしい。
・もう一つ認知症の方に対して「指示が入らない」という表現をよく聞きます。ほんまやめて欲しい。そういうあなたは何様と思ってしまいます。
・上記二つの問題は、以前にも書きましたが、当事者がやめて欲しいとある認知症の研究会で言われていたことです。(うろ覚えですが、「指示がはいらないって、私たちは動物ではありません」といって主旨の発言でした)実は↑の本も、「指示が入らない」という言葉使いについてなにか言及があるのか期待して読んだのですが、それはありませんでした。もうひとつ余談ですが↑の本では、ユマニチュードという言葉が出てきませんでした。長谷川先生はどう評価しているのでしょうね?
・で、もとにもどって、「指示が入らない」に違和感を感じているのは私だけではありません。↓のようなブログがありました。「おお、同志よ」と思ってしまいます。
「指示が入らない」からもう一歩ふみ込んで、コミュニケーションを考えてみてもいんじゃない?
指示が入らない?
・以前にも書きましたがどうして「指示が入らない」という言葉が使われるのかと当院の看護部長にきいたところ看護必要度からきているのじゃないかというご意見でした。これは「仮説」ですが、実際どうしてこのような言葉遣いになったかご存知の方は教えてください。
ちなみに看護必要度は↓
この中の表のB項目「患者の状態等」の「診療・診療上の指示が通じる」がありますが、ここから「指示が入らない」というようになったのでしょうかね?医療界の片隅にいる私には分かりませんが...
以下日記
・本日4/29(金)は「私の日」(本当は、昭和の日)でお休みでした。朝ゆっくりと6時48分起床。朝食摂って雨が降り出す前に草刈りしようと思っていましたが、雨が降り出してしまいました。11時まで、学位申請のための事務作業。早めに昼食とって、それからじん肺と癌に関する文献読んだりACP関係の本、文献読んで、講義資料を作っていました。本日は↓の本が読み切れました。なかなか良い本でした。(エラソーに)
緊急ACP VitalTalkに学ぶ悪い知らせの伝え方,大切なことの決め方
- 出版社/メーカー: 医学書院
- 発売日: 2022/01/24
・夕方雨が上がったので、17時過ぎから18時くらいまで1時間弱庭や道の草を刈っておりました。ちょうど草刈りが終わった頃に配偶者が帰ってきて、美星ミートというこのあたりでは有名な高級お肉屋さん(?)でコロッケとメンチカツ、モツ煮を買ってきていたので、メンチカツ一つ食べてから入浴。その後麦酒飲みながらコロッケやモツ煮をたべておりました。で、現在麦酒のカクテル飲みながらこのブログを書いております。これから、もうちょっとだけ勉強して22時までには寝たいと思います。明日は、午前中会議です。