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ハンセン病・・・苦い思い出/変わらない私

・本当に末席と言うんでしょうね。私が院長時代ハンセン病に訴訟にかかわったというか、単に弁護士さんに病院にきてもらって問題を講義してもらったり、集会に何回か参加したのみです。ハンセン病のことを考えると本当に自分がバカだったことを思い出します・・・医学部6年の時下級生や看護師さん達と長島愛生園に見学に行ったことがあります。見学に行くのでハリソンの内科学書でハンセン病の予習をしていったのですが、それには感染性は低く、隔離の必要はないようにかかれていました。しかし、当時日本ではまだ隔離政策が行われていました。なんで、その時おかしいといわなかったのか...その後数年(?)して、ハンセン病の裁判がはじまりました。私は、いまだ、なぜ医学界があのような事を許していたのかりかいできません。それはさておき下の様な質的研究がありました。本文の表1みるだけで、くるしくなりました↓ 

プロミン開発以前にハンセン病患者に繰り返し生じた外傷の原因とその対処 

日本看護研究学会雑誌 Vol. 38(2015) No. 1     

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsnr/38/1/38_20140928001/_pdf

【抄録】

目的:プロミン開発以前に,ハンセン病患者に繰り返し生じた外傷の原因とその対処を明らかにする。
方法:回復者10名に半構造化面接を行い,質的帰納的に分析した。
結果:外傷の原因は,【警告としての痛みの消失】【身体内部から崩壊】【貧困による労働重視】【傷の汚染・不潔な衛生環境】【素人による不適切な処置】【迷信】等の9個,対処は[万年傷に対する自己流処置方法の獲得][手ぬるい処置では治癒不能][重症度による治療者のランク分け][四肢の萎縮・切断による苦しみからの解放][労働不耐・免除による手足残存]等の6個のカテゴリーで示され,繰り返し生じた外傷の全容は,傷の悪化を誘発する負の連鎖,万年傷をもち貧困のなかを生きる日常,貧困を生き延びる代償としての障碍の3コアカテゴリーで図示された。
考察:差別をもたらした重度重複後遺障碍には,貧困,医療・公衆衛生・社会生活基盤の不備,強制労働等の社会的要因が関与した。

・二度とこのような事が無いことを願います。

以下日記

・今日は6時起床。朝蕎麦食べて大学へ出かけました。9時半から16時まで、研究室でひとり課題及び研究発表の準備に取り組んでおりました。若干目処がたったかな。帰りイトーヨカドー、イオン岡山へよってお買い物。帰宅は18時半でした。今日は岡山駅←→医学部、そしてお昼も30分くらい歩いたので10km弱歩いたみたいです。

・帰りの電車のなか、結構混んでいて立っていたのですが、ちょっと前方で座っている年上の女性が小さく私に手を振っているように見えました。たぶん、私の後方にだれかいるんだろうなと思っていたのですが、その女性の前の席が空いたので座ると、「先生、お久しぶりです」といわれました。どなただったか分からなかったので、どちらさまでしょうかとお聴きしたら、私が青年医師の頃指導し下さった先生ではないですか。私が院長になる前に退職されて、先に開業されていた旦那さんといっしょにお仕事をされていました。1度退職されてからたまたまお会いして以降あっていなかったので、多分15年、ひょっとしたら20年以上おあいしていなかったかも。その先生曰く「かわっていませんね」・・・同窓会でも、青年医師時代の知り合いのDr.にも、久々にあっても、いつも言われる台詞、「おまえ、全然、かわらんなぁ」。ああ、進歩がない。いや、ポジティブに若々しい、初心を忘れていない、と考えましょう。しかし、お顔を忘れていたとは、とっても失礼しました。(わたし、人の顔を覚えるの大の苦手です・・・TVで見る若いタレントや歌手、女優はみんな同じに見えます。)

・帰宅して入浴、夕食。ちょっと一服後このブログを書いております。これからちょっと勉強して、早めに寝ます。明日は1日大学です。



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