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マイ手帳大賞:こんなに大きな被害を生んだ出来事を知ろうとしなければ知らないまま生きていけることにも驚いた

現在宿直中。今のところ幸い大きな問題は起こっておりません。で、『日本の科学者』という日本科学者会議が編集してい「市民と科学者を結ぶユニークな総合学術誌』(と、この雑誌が「自己紹介」しております)に目を通しておりました。2021年10月号Vol.56 No. 10通巻645号の「談話室」の「学生と学ぶビキニ事件ー事件の記憶にどう向き合うか」(森明香・高知大学、環境社会学)という2ページのエッセイ?に標記の文章が書かれていました。「ビキニ事件を何らかの方たちで継承しようとする先達の取り組みに学ぶ」(被害者に直接学ぶのではなく、それを学んで伝える側に回ったにとたちから学ぶというユニークなとりくみ)という学生のフィールドワークの感想として↓のような文章が引用されていました。


 「新しく知る事実があるたびに衝撃を受け、そして今まで知らなかった理由は何なのか、と考えた。その理由の多くは、「関心がなかった」。そして「知る機会がなかった」からである。何事も関心を持って知ろうとしなければ知る機会がないことを実感するとともに、こんな大きな被害を生んで出来事をしろうとしなければ知らないまま生きていけることにも驚いた。」


 まさに今の日本の社会(他の国も?)が最後の文ですね。私も漠然とそういうことを感じていたわけですが、こう明確に言語化されるとやはり衝撃をうけました。で、これについて書きたいことはいっぱいありますが、ここで思いついたミチバの法則というか行動規範:問題を知ったものは、何か行動しなければならない。


 この前私が環境大臣から感謝状をもらったことを書きましたが、大気汚染公害のことをしらなくても生きていけるんですよね。また、二硫化炭素中毒症や過労死の問題もしらなくても生きていけるんですよね。逆に多くのことを知ってしまった場合からだが分裂しそうに感じることがあるのではないでしょうか(私が、そう)。かって『セブン』という映画を観たとき主人公の奥さんの「こんな世の中に子供を産むのが怖い or 産んでよいのか」(かなりうろ覚えで、正確なことは覚えていませんが、趣旨はこんなかんじ)という台詞を聞いたとき、そのときは何言ってるねんと思ったのですが、その後いろいろ学んでいくとそういう台詞に納得した自分がおります。


 知らないまま生きるか、知っても無視するか、知ったら何か行動するか、人生常に三択かも。



以下おまけの日記

・本日10/5(火)は、6時半起床。朝勉せず、猫たちにたっぷり餌をやって出勤。病棟ちょっと寄って、午前外来。午後できたらいったん家に帰ってまた当直にこようとも思っていたのですが、それは無理でした。(患者さんお一人入院させたので)午後回診、16時から17時まで当直室にこもってZOOMで大学院のcritical appraisalに参加。その後また仕事して19時30分から宿直です。宿直する前から外来の患者さんのことで呼ばれ、22時に前に病棟から呼ばれもしましたが、その間は落ち着いておりWebinarで慢性腎臓病に対するダパグリフロジン(商品名フォシーガ)の効果を視聴しました。うーん、この薬はしっかり勉強しとかなあかんなと感じました。

・で、現在このブログを書いております。もうちょっとしたら寝ます。夜中起こされませんように。

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