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私が涙したこと/奈良出身者はナラティブ

私はとっても涙もろいのです。映画なんか観に行ってもすぐ泣いてしまいます。私の配偶者は一緒に映画観に行って泣ける場面になると私の顔をのぞき込んで馬鹿にしていました。なので、ヒューマンな映画は一緒には映画には行きません。最近一緒に観に行った映画は『パラサイト 半地下の家族』です。

・それはさておき、ある病院で泣いてしまったことがあります。それは、私の大学院の同級生(結構なお年の女性=大学教員)と一緒に四国こどもとおとなの医療センター↓に見学に行ったとき。




・なぜそこに見学にいったかというとホスピタルアートに興味があったからです。私の学生時代からの友人の現・おばちゃん看護師が耳原病院に勤めていて、新しい病院になったから見に来てとお誘いをうけました。最初は行く気なかったのですが、あまりにひつこく言うのでいってきました↓




・そこでいたく感動して、そのホスピタルアートの原点(?)をみたくて何年か前に四国こどもとおとなの医療センターに見学に行ったわけです。いろいろ思うところはあったわけですが、そこのアートディレクターの森合音さんからいろいろ説明を聴いたわけですが、そのなかで障害児病棟を作るときの話、そこの師長さん達が「こんな素晴らしい病棟にしてもらえて入院している子供達が喜ぶでしょう」(記憶曖昧)と喜んでもらったというお話を聴いて思わず森さんと同級生の前で私は泣いてしまいました。なぜ、泣いてしまったかというと医学生時代に障害児問題をそれなりに勉強したのですが、障害をもった子供達が病院に預けられっぱなしになっている現状を学び、実際にみて(現在の岡山南医療センター、以前国立早島療法所に泊まり込みで見学にいったことがあります)家族から疎遠になっている、その子達にどうアプローチをすべきなのかと思っていて、そういう勉強・経験の積み重ねで、その師長さん達の思いがわかって思わず涙してしまったのです。多分一緒に見学に行った女性の大学教員はなんで私が泣いたか分からなかったでしょう。

・なんで、今日こんなことをかいたかというと、明日障害児を持つ親御さんと一緒に金光町にあるある建物を見学に行くからです。その建物で何らからの事業をしたいと思っているからです・・・私の昔の同僚も障害を持つ子供をかかえ、将来どうしようかとNPOを立ち上げると早期退職していろいろ努力されていました。たまたま最近しりあった障害を持つ子供さんの親御さんが株式会社を立ち上げて、子供に株主になってもらって自分亡き後も経済的な保障をしたいといわれており、それにわたしも乗ろうとしているからです。私が接する人たち(同僚、患者さん、地域の人等)で障害を抱えているお子さんがおられる、今の日本の社会保障制度では、子供達が心配だ、どうにかしないといけないと心配され、活動されている人たちがいます。それに自分がすこしでも関われたらよいと思うものです。現在かなりよっぱらてきちんと文章が書けているかどうか不安ですが...


以下日記

・本日7/3(金)は、6時27分起床。身支度して一瞬朝勉して出勤。午前外来、午後回診と私が勤める経営体の職員のVDT健診の判定。そして18時帰宅。最近スケジュールの変更とコロナ感染症の影響(???)で早く帰宅できるようになっています。帰って入浴、夕食、アルコール摂取。すでにヘロヘロになっています。で、そのヘロヘロで↑にかいたような文書を書いています。何言ってんだか?と思われる人も多々おられると思いますが、酔っ払ったオッサンが書いたものと御一笑ください。

・それにしても、最近は外来が苦痛だけど楽しい。外来の看護師さんとのやりとりが面白い。また、多くの患者さんが優しくてくれて心地よいです。とくにベテランの看護師さんが私の親父ギャグをひろってくれて助かります。完全にスルーされたら、つらいものがあります。外来中のたわいない会話でストレスが軽減されます。今回のブログの標題の後半も、今日外来についていてくださった看護師さんが教えてくれたもの。お一人奈良県出身でプロ野球の阪神ファのオバチャンの患者さんがいます。(じぶんでオバチャンと言っていますのでご容赦を)大体病気の話より阪神の話するのですが。その診療の後に、誕生日が私と同じ某ベテラン看護師さんが、奈良出身者を「ナラティブ」と呼ぶと教えてくれました。別に奈良出身者でなくても、ナラティブは尊重しないといけません。少なくとも私は患者さんの「健康物語」を尊重するようにはしているつもりです。ただ、時間が無い。(あんまりゆっくり話を聴いていると他の患者さんの待ち時間がながくなる)

・今日は、本当に完全に(定義は?)酔っ払っています。で、この文章を書いているので支離滅裂かも知れませんが、行間を読んでください。明日は、先ほど書いたように午前中は金光町に行ってある物件を見ます。ひょっとしたらそこの「オーナー」の一人になるかも知れません。お金がそんなにあるわけでもないですが。

・ちょっと前までは「足るを知る」で、お金なんてほどほどあればよいと思っていましたが、今はお金はなんぼあってもよい、いっぱいお金が欲しいと思っています。お金があればシェルターが作れるし、学校が作れるし、色んなNPOに寄付できるし、大金あれば軍事産業の企業を買収して民政に転換できるし...

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