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四日市公害裁判/2021年コロナの旅

来年2022年は、四日市公害裁判の判決が1972年7月24日にでて50年になります。40年の節目の年のシンポジウムの記録がみつかりましたのでシェア↓


日本科学史学会創設70周年記念シンポジウム:四日市公害裁判と研 究者・市民判決後40年の節目に


科学史研究 51 巻 (2012) 264 号




9年前の文書ですが、これをよんでいろいろ思うところがあります。あらためて気づかされたのは↓


公害は,被害者が人権をもとに加害者と交渉を始め,あるいは裁判を起こし,行政機関に働きかけたときに初めて,社会問題として顕在化する.どれほど深刻な環境破壊が進み,疾病が発生していても,被害者が公害であることを認識し,それを市民組織が支持して運動し,公衆衛生学者などの研究 者が調査を始めない限り,公害問題とはならない.このことは水俣病,四日市喘息,イタイイタイ病から最近のクボタショックまでの経験から明らかである。


cf. 四日市公害のあらまし




・自分史に四日市喘息を位置づけると、学生時代に公害の勉強をし学んだこと、医師になって倉敷公害裁判にかかわり、四日市喘息を初めとする市民の公害へのとりくみに末席ではあるが参加したこと、これらの運動を背景に公害健康被害補償法ができ、現在自分がその認定委員になっていることでしょうか。また、上の論文に出てくる宮本憲一教授は吉田克己教授とはほんのちょっとだけですが実際にお会いしたことがあるということですね。





以下日記

・本日7/20(火)は昨日早く寝たおかげでしょう4時47分に自然に目が覚めました。朝勉で本日のCritical Appraisal: CA関連のマルチレベル解析の文献を読みました。そして出勤。午前外来、午後から施設入所、訪問診療をしている患者さん達の新型コロナワクチン接種に外来看護師さんと出かけました。タクシーの中も冷房が十分効かず、車の外に出た日差しが痛かったです。ワクチンは皆様重篤な副反応が出ず良かったです。最後の患者さん宅で接種後15分経過を見ていましたが、患者さんが立ち上がったらポトッと丸く黒い物が落ちてきました。エッと思って、看護師さんにトイレに連れて行ってもらいました。しかーし、よく見ると○ンコと見えたのは、実は△ンコでした。ああ、良かった。で、16時過ぎに病院戻り、宿直室のこもってZOOMでおくれて大学院のCAに参加しました。17時過ぎに終わり病棟へ寄って18時41分帰宅。まず、大いなる遺産の猫たちに餌をやりにいってから入浴、夕食。録画の「サラメシ」と「月曜から夜ふかし」をみました。「夜ふかし」で感心したのは、チリチリヘアーの女性の髪の毛をサラサラストレートにした美容師さん。そのメカニズムの説明も短かったですが、納得いくものでした。(多分分子間の架橋をいったん薬剤で解除し、その後別の薬剤で再結合させるというものでしょう・・・と、勝手に納得)

・その後はちょっと勉強してこのブログを書いております。このブログを書いていて、元阪大衛生学教室助教授の野村拓先生が、自分史に世界史をとりこむということが感覚として分かった気がしました。(ちょっと自分にとってはおおげさですけど)

・さて、これから寝ます。ただ、その前に通販でビールを注文しましょう。あと寝ながら千住博さんの本読みます。

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